龍!
文字からしてもうかっこいいですよね!
信仰の対象として
スピリュチュアルな存在として
かっこいい空想上の動物の一つとして
龍は古代から現代まで、長い長い時間、人を魅了し続けています。
確認できるだけでも数千年に渡り、続いてきた崇敬は、やはり信仰と言ってもいいものなのかもしれません。
私は美大を出ていません。
長い間、水彩画を描いてきたけれど、それは水彩絵の具が、子供にとって身近な画材であったことが一番の要因です。
そんな私でも描ける水彩画ですから、あなたにも描けます。本当です!
でもこのページでは、龍の描き方ではなく、龍について私が知りうる限りの情報をまとめてみようと思います。
龍の描き方については簡単に、ここで解説しています。
Contents
古代日本の龍
これは当然ご存知かもしれませんが、「龍」は日本語ではありませんでした。中国から漢字が本格的に輸入された四世紀頃(最初の伝来は1世紀頃とされています)まで、つまり概念としての「龍」も存在しなかったのです。
では漢字が輸入される前、「龍」の姿が中国からやってくる前には、本当に「龍」は日本にいなかったのでしょうか?
日本の古語、「お」という音
日本が日本と呼ばれはじめるよりずっとずっと昔、日本には文字がなかったと言われています。
(文字の痕跡自体は発見されていますが、歴史的検証はされていません)
今も言霊という言葉が残るように、日本では口から出る音、一つ一つの音が、それぞれ意味を持ち、霊力のようなものが宿っていると考えられていたようです。

当時の会話は、歌のようでした。百人一首の大会を見たことはありますか? あんな風に、和歌や俳句を読み上げるようにゆったりのんびり、会話していたと言われています。
その頃「お」という音には、細くて長い物、という意味がありました。
「尾」「緒」などの漢字にその意味が残り、今でも使われていることは感慨深いですね😊
皆さんも一度は聞いたことがあるかもしれませんが、神話に出てくる「八岐大蛇(やまたのおろち)」。八つに分かれた体と頭を持つ、「お(尾、長いまたは大きい)」「ろ(助詞や接尾語で、の、の意味)」「ち(霊、神、魂)」という意味だとも言われます。
八岐大蛇は大きな蛇ですが、龍の原型のような姿を想像される人も多いのではないでしょうか?
古事記や日本書紀といった古い書物に、龍は登場しません※。ここで登場するのはこの八岐大蛇や蛇。多くの場合、蛇は神の化けた姿、あるいは本当の姿として登場します。
脱皮し大きくなっていく蛇は再生、不老不死だとも思われて、ですから、御祭神は実は蛇だと伝承が残る古い神社が、今でも日本全国に残っているんですよ!
※実際には、日本書紀にある龍が登場しますが、それは後ほど紹介しますね!
日本語の古語で蛇のことを、「か」「かか」「かが」「はば」とも言います。現在の定説では、これらは蛇そのもの、蛇の体のことを言うのだそうです。
「かかし(案山子)」「巾木(はばき)」「脛巾(はばき)」のかかやはばは、蛇のこと。
また前出の八岐大蛇を退治した時、素戔嗚尊が使った剣は「天羽々斬剣(あまのはばきりのつるぎ)」と言いました。蛇を斬った剣ということですね。
「お」は魂の形だった?
ではなぜ、蛇が神様の本当の姿だと考えられたのでしょうか?
太古の昔、日本では、魂は当たり前に存在し、肉体に紐のようなもので結ばれていたと考えられていました。その紐が切れて肉体と魂が離れてしまう時、切れた紐が蛇の尾っぽのようだ、と。
見たことがある人がいたのですかねぇ?🤔
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする」
小倉百人一首にのる式子内親王の歌を、記憶している方もおいでだと思います。この「玉(たま、魂)」の「緒(お、紐などの結ぶ物)」は、まさしく魂を肉体につなぐ紐のこと。
へその緒も、赤ん坊と母の存在をつなぐ命の紐です。
火の玉や幽霊のような霊魂が絵に描かれる時、本体から細くなって行って、紐のように消えていく形ですよね。幽霊に足がない、という逸話も、こういった考え方が元になっていたのかもしれません。
ともかくその形は、蛇と同じ。
蛇は魂の形だとも思われていたようなのです。
「お」「か」「み」という龍
先ほど、古事記や日本書紀に、龍は書かれていないと触れました。
でも名前だけ登場するある神様は、龍神だろうと解釈されています。
それが、
高龗神(たかおかみのかみ)
暗龗神(くらおかみのかみ)
の二柱です。
龗神は、淤加美神とも書きます。
淤加美は、日本に漢字がなかった頃からある物や地名、人の名前に、表音文字で漢字を当てはめた、つまり当て字での表現です。言ってみれば、龗より古い表現ですね。
ちなみにですが、この表音文字の漢字の場合は、一音一文字です。
この「龗(おかみ)」という漢字は、中国で、雨を受け止める三つの器(口が三つ)と龍の組み合わせから、祈祷や雨乞いなどを表す漢字だったのだろうと言われているそうです。
先ほども書きましたが、「お」は細長い物。蛇や、川や滝なども、時には含まれていたのではないでしょうか。
単純に「大きい」の「お」の可能性もありますね。
そして「か」は、見えない、または形はないけれど、そこのあるもの。あるいはこちらも、蛇のことを表す言葉であったかもしれません。「お」の他に、「か」「かが」「かか」も、蛇を表す言葉でした。
「み」は身。実態、水など目に見えて触れるもの、充実した中身、を意味するとされています。
日本の龍の原型は、大きな蛇神。
目に見えなくとも確実に存在する、細長く霊的なもの。
人の生活に深く根差した、自然神だったのです。

日本における龍の誕生
蛇の存在、蛇への太古の信仰は、日本における龍の素地の一つであったでしょう。
もちろんもっと他にも色々な側面がありますが、中国から龍がやってきて、蛇信仰に結びついたことは間違いないようです。
ここからは実際に中国から「龍」がやってきてからの歴史を、一緒に見ていきましょう!
日本における最古の龍
日本で発見されている最も古い龍の描かれた絵。
以前、龍の描き方のページでも触れましたが、それは、弥生時代の土器に描かれた龍だと言われています。
大阪府の池上曽根遺跡で出土した弥生時代後期(1〜2世紀)の土器に、日本最古級の龍が描かれています、が•••
今でいう龍の造形とは、様子が異なります。S字の長い体に、魚の鰭か背鰭のようなものがたくさんついていて、尾があります。これは龍じゃない、という人もいるでしょうね。もしこれが龍ならば、龍という水神がいるのだと、概念のみが中国から伝わり、話を聞いた弥生人たちが、想像で描いたのかもしれません。そう考えると、なんだか親近感を感じてしまうのは、私だけでしょうか?
池上曽根遺跡出土龍絵画土器 三次元映像(大阪府立弥生博物館)
この土器は、井戸の中で見つかりました。縄文時代、土器は祭祀にも使用され、壊されていたり埋められていたり、どんな模様があるか、どこで見つかるかで用途や意味が異なるとされています。
井戸で見つかった土器が、水に関係がないとは考えられません。そしてその土器に描かれていた龍(だと思われる絵)。
「龍」、あるいはその概念は、既に水に対する信仰、崇敬に結び付けられていたのです。
鏡に描かれた龍
日本の古代史に触れるとき、目にする考古学的遺物の中で、最も龍が描かれた遺物は、鏡ではないかと思います。
爬龍文鏡、盤龍鏡など、現代まで残る名称にも龍の文字が入った鏡も存在します。
ただ、これらは多くが中国産で、日本で作られただろうと思われる鏡は、数少ないし、模倣された元の鏡が存在しているものばかりです。
ただし、日本で作られた鏡の多くは、単なる模倣ではなかったことがわかっています。当時の日本の技師たちは、一つの意匠を、独自の解釈、あるいは元来の性質を無視して製作しているんです。
近年発見された、奈良県の富雄丸山遺跡の「鼉龍文盾形銅鏡」は、記憶に新しいですね。背面に鼉龍(だりゅう)、ワニのような龍が描かれています。この形の銅鏡は、世界中でまだ一枚も発見されていませんから、もしかすると日本製なのかもしれませんね。

(紀元前8〜紀元前3世紀頃)

(紀元前2〜西暦2世紀頃)
とはいえ、鏡は、当時貴重なものでした。
祭祀に使用され、権力者たちの権力の象徴として利用され、埋葬の際には副葬品として埋められました。
つまり、どれだけ、一般の人たちが目に触れる機会が、それも間近で見られる機会があったのか?
それは微妙な問題だと思います。
そういうことを考えたら、弥生時代、古墳時代、そして平安時代に至るまで、話で聴く以外の方法で、人々が龍について知る機会はなかったのではないか?
であるならば、飛鳥時代に仏教が伝わり、さらに多くの仏典が輸入された平安時代頃までは、龍はまだメジャーな神様でなく、日本において水神としての動物は蛇であった、とみるのが妥当かもしれません。
初めて文献に登場した龍
文献に書かれた最古の龍は龗神であった、と先ほど触れました。
ですが実は、先ほども触れたように、日本書紀には一箇所だけ、龍という文字が登場します。
「
豊玉姫、方に出産むときに、龍に化為りぬ
」
日本書紀 巻第二(神代下)です。豊玉姫が出産の時に、本来の姿である龍になった、というのです。
日本書紀は八世紀に編纂された日本に残る古史、古事記と並び重要な古伝です。もちろん、だからこの頃には日本で既に龍が認知されていた、とは言い難いでしょう。中国からやってきたたくさんの書物に触れる機会のあった当時の権力階級の知識人たち、あるいは仏教の僧侶のみが、龍を知っていたのではないでしょうか。
なお、この同じ逸話。古事記では、龍ではなく八尋和邇(やひろわに)と書かれています。諸説はありますが、和邇は文字通りワニのことではなく、鮫だという説が有力です。
八尋はとにかく大きいといういう意味です。
ですので元々の伝説では鮫であったものが、日本書紀の編纂者によって龍に置き換えられたのではないかと思われています。

豊玉姫は、天皇家の祖先に連なる海神の姫。初代神武天皇のお祖母さんにあたります。
ついでに書いておきますが、神武天皇のお母さんは豊玉姫の妹の玉依姫なので、天皇家は太陽神を始祖に持ちながら、龍神の血も持っていることになりますね!
なぜ龍に書き換えられたか、興味がありますか?
少し脱線しますが、知りたい方はこちら↓をクリック!
日本に輸入され、当時の知識人たちが必ず読んだであろう龍の登場する書物はいくつかあります。
「山海経」は古代中国の神話だけでなく、地理や博物もまとめられており、日本書紀の編纂者たちは絶対に意識したのではないかと思われる書物です。ここには人間の頭で体が龍の神が出てきます。
また「大智度論」という仏典には、海底には竜宮がありそこに住む龍王の娘龍女は聡明で、のちに成仏する尊い存在として描かれています。豊玉姫モデルはこの龍女かもしれません。
ではそうして書き換えられたのか?というと、まず一つに、中国への対抗意識があったのではないかと思われます。何しろ中国の皇帝は、龍の生まれ変わりだとされていました。そして当時の日本は中国から見て、最果ての小国、と思われていたことでしょう。日本書紀は白村江の戦い(対唐&新羅との戦い)が終わった後、書かれました。中国、大陸文化からの意識的独立、対外政策のためにまとめられたとも言われています。つまりこれを見た諸外国に、日本にも高貴な「龍」の娘が存在すること、そして何より、天皇家はその龍の娘から生まれた子供を先祖としているのだと、知らしめすこと。
そんな目的があったのではないかと言われているのです。
時代を追って龍を見てみよう
さて、日本で龍の概念がどのように生まれ、どのように日本へ輸入されたかを見てみました。
次は日本へやってきた龍がどのように扱われ、進化し、広まっていったかを見てみましょう!
飛鳥〜古墳時代
輸入された直後の龍の姿は、最も古いと思われる壁画に残っています。
そう、奈良県飛鳥村のキトラ古墳、高松塚古墳です。
四神図、という、当時の中国から伝わった、四方を守る聖獣が描かれています。その一つが、龍、青龍です。
ここに書かれた青龍は、見る人によってはちょっとユーモラスに思えるかもしれません。
これでもかと大きく口を開けて舌を突き出し、体は四つ足の動物のようにも見えます。

四神の龍は、東の方角を守る聖獣、守護神でした。だから描かれたのも、キトラ古墳や高松塚古墳だけではなかったかもしれませんね。他の古墳から発見されていないのは、残念なことです。
平安〜鎌倉時代
最初に仏教を広めようと尽力したのは聖徳太子だと言われていますが、平安時代になると、より多くの仏典が中国から日本へ輸入されます。密教に関わるものが多いのですが、宗派が生まれ、布教が競争めいてくると、民衆に教義を広める為、仏画も用いられるようになります。
字が読み書きできなくとも理解してもらえるように策を練ったわけです。
高野山金剛峯寺に今も伝わる、十二世紀に描かれた「善女龍王像」は、最高傑作の一つとして国宝に指定されています。
この龍女は人の姿をしていて、唐風の衣装を見に纏い、ただ小さな蛇(龍)が、頭の上に乗っているのだそうです(残念ながら、私も実際の絵を見たことはありません)
また、密教では重要視される不動明王という仏様は、龍と深く繋がりがあります。龍が腕に巻き付いていたり、持つ剣に龍が巻き付いていたり。
なのである意味では意図的に、龍は、不動明王の化身した姿、あるいは眷属として、仏教の守り神になっていきました。

華厳宗祖師絵伝「義湘絵」(部分)
京都の栂尾山高山寺に残る、唐の女性が龍に変化するという物語絵。 京都国立博物館 で観られます。
古墳に描かれた龍よりも、今現代の竜と同じような姿形に描かれていますね。
江戸時代
戦国時代が終わって日本が一つの国として認識され、平和な時代が始まると、日本文化は一気に花開きました。
江戸の絵師たちはこぞって龍の絵を描き、それは仏画としてだけでなく、芸術へと昇華しました。葛飾北斎、円山応挙、みなさんも一度は目にしたことがあるでしょうか。
きっと今の我々と同じで、神秘的で力強く、天候を司るその神性が、とても魅力的だったのでしょうね!
もちろん、平和は江戸だけでなく、日本全土に文化を発展させました。やはり仏教の説法絵や守り神としての性質も大きく、主に寺院で、今も多くの龍の絵を見ることができます。

京都の大本山妙心寺の法堂(はっとう)の天井絵。重要文化財です。
この頃にもまだ、都市部の文化が届きにくい地方の小さな村では、水の神様として蛇神様をお祭りしていた村もあったでしょう。私の住む千葉市にも、港の村で大事にされた弁財天が今も大事に祀られています。
弁財天は眷属が蛇とされる、水の女神です。
案外、龍と棲み分けができているのかもしれませんね
蛇足って、龍のこと?
いえいえ、残念ながら、龍に足をつけただけでは、龍にはなりませんが(笑)
蛇足ではなく補足として、最後に、龍にまつわる幾つかのお話を紹介します。
漢字にまつわるお話
龍と竜
なぜ二つの漢字があるか知っていますか?
龍は旧字体、竜は龍の新字体、と現在では定められています。
でもこれは戦後決められたことで、どちらも起源を遡れば中国の象形文字。そして発生の時期は、「竜」の方が少し先だったと言われています。
ほぼ同時期に日本に伝わったはずの二つの漢字ですが、次第に龍の方が使われる頻度が多くなっていったようです。なぜなら、
「龍」の方が派手で複雑でカッコいいから!
昔も今も、見た目はなんでも重視されるんですね。「竜」さんかわいそう。
ではもう一つ、辰という漢字も、龍を表す漢字ですよね。
干支で使われている辰は、昔の時刻の呼び方や方角には、今も時々登場しますね。
ただしこの漢字は、元々は龍の意味ではなかったようです。貝殻の形、また草木が勢いよく振るう、整う、成長を意味する象形文字だったそう。
十二支も元々動物ではなく、事象を表し暦や季節を表現するために使われていたものが、わかりやすくするために動物を当てはめたのだそうで、つまり全部が後付けだったんですね。
なぜ辰だけ実在しない龍なのか、に関しては、古代中国の人たちは恐竜の化石を見て、竜も実在するのだと思っていた、と言う説もあるんですよ!
だとしたら楽しいですね!
龍の名前
今、いろんな龍の名前を目にしませんか?
応龍、飛龍、蛟龍…… 最初は龍神、龍という存在だったものに、時代が進むにつれさまざまな形態や性質が付加されました。今ではその形や色、信仰や欲しい運の種類によって区別がされ、それぞれ信奉する人が多いようです。
例えば昇龍や降龍は、龍の状態を表します。昇龍は運を掴みに行く、降龍は運を掴んで天から駆け降りる状態を表すそうです。
また応龍は、古代に描かれた羽があるように見える龍から派生して、翼が生えた龍のことを言います。龍が1,000年生きると応龍に進化し、翼が生えるのだとか?

龍の色
一般的に龍というと緑色を思い描くかもしれませんが、今では、形態と一緒で色によっても種類分けがされています。
有名なところでは、例えば西東京市の田無神社には、五龍神が祀られていて、それぞれ色が違います。金龍、青龍、黒龍、白龍、赤龍です。色によって御利益が違うので、自分がいただきたい運を授けてくれる龍にお参りするそうですよ。
五龍神は陰陽五行説に紐づいてはじまった信仰ですが、いろんな色の龍を見る人(?)もいるようですね。黄龍、虹龍、銀龍。話に聞くだけでも色々います。
そしてこれは私が水彩画を描くから思うのですが、龍を描く時、好きな色で塗ることがありますから。そんな絵が、今ではネットを介して広まって、日本中に認知されたのかもしれませんね。
私はピンク色が好きなんですが、ピンクの龍は、••••••いないかな?(笑)
まとめ
龍。
やっぱりどれだけ調べても、調べ足りないですね!
もっともっと色々知りたくなってしまいます(๑>◡<๑)
・「お」から始まった長いものへの信仰
・中国からやってきた龍という概念
・中国からやってきた龍の姿
・蛇と合体して、あるいは別々に進化していく過程
・現代見られるさまざまな龍
このページでは、龍について、こんなことを説明してきました。

まとめてみることで、私ももっともっといろんな龍を描いてみたくなりました♪
長々と読んでいただき、ありがとうございました。
あなたの龍への想いが、一層深くなったのなら嬉しいです。
律でしたm(_ _)m




龍大好き💕律ですm(_ _)m 水彩で龍を描いています♪